大月前山遺跡:中世に栄えた平泉寺末坊跡の全容、明らかに-上志比村大月 /福井
◇字名と伝承、残るだけだった--建物跡、初めて確認
福井県上志比村大月の「大月前山遺跡」で、中世に栄えた平泉寺(同県勝山市)の末坊跡の全容が、同県教育庁埋蔵文化財調査センターの調査でほぼ明らかになった。同寺の末坊は同県北部に数多く伝わるが、建物跡が特定されたのは初めて。
平泉寺は、鎌倉~室町時代には6000坊を有したと伝わるが、1574(天正2)年の一向一揆との戦火で滅亡した。
各地にあったとされる末坊は現存の史料に記録がなく、大月前山遺跡の推定範囲も「寺屋敷」の字名と地域住民に末坊伝承が残るだけ。中部縦貫自動車道の建設計画に伴う03年からの発掘で、約1万2500平方メートルの範囲から礎石のある本堂と隣接する建物などが当時の石垣などと共に出土した。焼け跡もあり、本堂の入り口が北東の白山に向けられている。
遺跡は九頭竜川左岸の丘陵地にある。斜面に沿って降りた場所は当時の港を示す地名が残る。同センターは「当時の寺は物資の中継地の役目も担っていたのではないか。平泉寺勢力の全容を知る上での貴重な証拠となる」と話す。
8月16日朝刊 (毎日新聞) - 8月16日16時43分更新
スポンサーサイト